この一冊・本誕生のドラマ

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「エドゥアルド・トロハの構造デザイン」
エドゥアルド・トロハ著 川口衞 監修・解説 発行:相模書房 A5判210頁 2,400円 

●法政大学教授で世界的な構造家・川口衞 先生から南風舎にご連絡をいただいたのが、今年に入ってすぐ。「エドゥアルド・トロハの本を作りたい」とのお話しだった。トロハ、20世紀を代表する偉大なる構造デザイナー。「構造の本を作りたい」とかねがね思っていた私は、「やったー!」という気持ちだった。ただ、トロハが偉大な構造デザイナーであるという事実は知っていっても、トロハの作品はマドリードの競馬場くらいしか知らない。書店に行って探してもトロハの本はほとんどない。トロハだけでなく構造デザイナーの作品をまとめた本はあまりにも少ない。予備知識もほとんどないまま川口先生の事務所へ。

 事務所でトロハについての本を見せらせた。B5判ほどの大きさの作品集。スペイン人であるトロハが英語で自らの作品を解説したものだ。写 真やイラストが中心でレイアウトも洒落ている。数式もなく、私がこれまで見てきた構造の本のイメージと全くちがうものだ。この本にトロハの評伝を少し加えた日本語版を作りたいとのお話しだった。

 実は昨年(2001年)から全国8箇所でトロハ展を開催しているとのこと。東京での最終開催が9月、できたらそれに間に合わせたい、図録として展示会で販売したい、というのが、川口先生とこの本の発行と展覧会の主催を受け持つIASSの意向だった。

 出版の主旨は決まった。あとは訳文が出来上がるのを待つばかり。

 3月には訳文と評伝の原稿をいただける約束だったが、待つこと4か月、連休明けの5月のある日、原稿が出来上がったとの連絡が。これから展覧会まで約4か月、無駄 のないスケジュールで進めないと本が間に合わないかもしれない。ギリギリの線である。いただいた訳文はほぼ完璧。充分に推敲も済ませたものだった。ところが、トロハの人となりが書かれた評伝が無い。やはり原著そのままの完全な翻訳書にしたいとの先生のご意向である。とりあえずは訳文原稿と原著の写 真が入ったCD-ROMを預かった。

 ●さて、日本語版はどのような体裁にしようか。原著を眺めてみる。大きさはB5変形とした。原著にならっているが、少し縦も横も少し大きく、ゆったりした感じになる。展覧会の図録も兼ねるのであれば、あまり重たくない方がいい。原著の内容は構造の本とは思えないほど平易な文章で、柔らかい感じがする。多くの人に親しみを持って手にしてもらいたい、そういういきさつで、ソフトカバーに決定した。

 出版社は建築の本では長い実績があり、当社とも深いつながりのある相模書房に決まる。

 これから本格的なレイアウトに入っていく。原著はゆったりとしたレイアウトで、とても美しい。幸い英文と訳文の量 はそれほど開きが無いようなので、あまり原著のイメージを損なわないで済みそうだ。訳文と照らし合わせていくと多少原著の問題点が見えてくる。まず、どこから新しい作品のページなのかが曖昧、見出しが無いため文章がだらだらと続いている印象がある、図や写 真と文章が離れてしまっているところがある…などなど。ただ、こういうところがスペイン的な大らかさというものなのか。この大らかさが、「構造の本=難しい」と毛嫌いされることがおそらくない、この本の魅力なのだろう。あまりシステマティックにしてしまうと、このような良さが消えてしまうので、そうならない範囲でもう少し読者に親切な本にしよう、そんな風に考えた。

 そこで、日本語版では、1.タイトルページをはっきりと分かりやすく、2.見開きで話が完結するように、3.文章に見出しを付けて内容が一目で分かるように、4.構造初心者でも分かるように注を付ける、5.文章と図、写 真の場所が一致するように入れ替える、6.図番号を付け文章と対照できるようにする、などなどの提案をした。また、ページ中に黒いベタの部分を適宜取り入れてメリハリを付け、トロハ作品のシャープさをも引き立てることができれば…そんなことも狙いとした。

 上記を盛り込んだ数ページ分のレイアウト見本をもって川口先生のところへ。大胆に原著と変えてしまったところもあったため、提案をどこまで受け入れてくださるか。見本をご覧になった先生はとても好意的に案を受け入れてくださった。細かい注文が合ったものの私たちが出した提案どおりに進めましょうとのGOサインが。注をつけることについては「不要なのでは?期限も迫っているのに誰が書くの?」という意見も社内で出ていたため、こんな案を持っていっていいものかとも思っていたが、「いいですね。注を書くのはわけないですよ。」先生は二つ返事で承認してくださった。

 ●さて、方針がはっきりと決まった。文章、写 真、材料がきっちり揃っているとレイアウトも順調に進む。見出しと注をつける語彙は私たちで提案することになり、それも含めて、7月頭に全ページのレイアウトが出来上がった。原著は作品解説だけなので、当初の打合せでもあったたようにやはりトロハ自身についての解説がどうしても必要なのではないか、ここは川口先生に何としてでも書いていただきたい、と社内で話し合った。ただし、先生は大きなプロジェクトを何本も抱えていて超多忙である。トロハ展に間に合わせるには7月中に原稿をいただかなければならない。レイアウトを持参し打合せをした後、先生にその旨をお話しする。お忙しい中での打合せの際も、いつもゆったりと構えていらっしゃっる先生は「7月中ですか…」と考え込まれ、そしてニッコリ笑ってさわやかに「ちょっと無理ですねえ。」とおっしゃった。「えーそんなあ…まあそこを何とか。」とお願いして、私たちは事務所を後にした。

 2週間ほどで、きっちりと初校が戻ってきた。注もほとんど全部入っている。果 たして先生の文章の進み具合はどうなのだろうか。でもここは「無理ですねえ」とおっしゃりながらも、浮かんでいた先生の笑顔を信じて、本文の作業を進めるしかない。こちらはその間に表紙案をまとめた。表紙は何案かのうちコンクリート色を意識したグレーを基調とした飽きの来ない落着いたデザインに決定した。

 初校の訂正も終わった7月末。「文章ができた」とのご連絡が。すごい!あの笑顔はやはり余裕の笑顔だったのだ。先生の頭の中には、すでにトロハについての思いはまとまっていて、お願いしたときにはもうまさに文章にするだけだったのかもしれない。頁にして18頁、トロハの生涯から作品の概略、思想までをわかりやすくまとめてくださった。そして、川口先生ご自身がスペインで撮られた作品写 真や原著にもないトロハの顔写真を加えることで、この日本版がぐっと充実した。先生はトロハの作品はほとんど全部ご自身で回られているとのこと。今の若い構造デザイナーにとって川口先生がスーパースターであるように、先生にとってトロハはまさしく憧れの存在であるようだ。

 表紙も決まり、全ての頁が揃ったところで索引、また、この本に出てくる作品の分布図を作り、8月後半、いよいよ印刷。そして9月11日、本完成!

 14日からのトロハ展にもぎりぎりに間に合った。出来上がった本をご覧になり川口先生も満足してくださったようである。  A3判の本のポスターやチラシも作成し、書店や全国の大学、構造事務所、建設会社などに送付。まずまずの売れ行きのようだ。昔からのトロハのファンの人もトロハを全く知らない若い世代の人も構造を目指す人もデザイナーも、一人でも多くの人がこの本を手に取ってくれれば…と願っている。

 ある日、意外な書店でも平積みされているのを発見した。どうやらこの本は、もう私たちの手を離れて独り歩きし始めたようである。まるで成長した子供を見るような気持ちになってきた。(南口)